とあるギアサーの書き殴りブログ

趣味でコスプレ、字書きを嗜むコードギアサー。ギアスに出会って約10年。日々のギア活で感じたこと、作ったものを忘れないためのアーカイブブログです。

だから私は、明日復活のルルーシュを観に行く

 

ちまちまと書いていた文章がようやくまとまりそうなので、

記録用として、ブログにアップします。

これを見返す自分が、その時どう思っているのか、

わからないけれど、振り返る場所として、

ここを未来に残そうと思います。

 

コードギアス 復活のルルーシュ公開日

前日です。

差し迫るその時を、

落ち着いて待ってなんかいられなくなったので

少し、自分の中の記憶を遡って「復活」に臨む思いを、思い出を残しておきたいと思いました。

 

そもそもこのプロジェクトが発表されたのは

2016年11月27日

コードギアスの10周年を記念して行われたイベント

キセキのアニバーサリーでしたね

約2年とちょっと前

もう懐かしいとさえ感じるイベントになってしまいましたが、

ギアサー人生で最初の大きなイベント参加に毎日わくわくそわそわしていました。

キセ誕、参加できなかったし

リアルタイム勢ではないから、当時行われていたイベントにも行けていない。

オールナイト上映会などには行きましたが、

やはりデカイイベント言うと、キセアニが初めてだったと思います。

 

それだけに、この時の思い出は今でも、頭の中の再生ボタンを押すように思い出すことができます。

 

招待状を受け取り、暗号を解読した時から予感はありました。

きっと誰の中にも戸惑いと期待とが入り混じった、複雑な感情があったんじゃないかと思います。

 

そもそも、

主観ではありますが、この復活プロジェクトが動き出す前は、

ルルーシュ生存派」と「ルルーシュ生きててはいけないのよ派」とには、

もしくは、

そのどちらでもないという人の、様々な考え…

ギアサーの間には、そう大きい壁はなかったように思います。

だって、ラストは決まってはいなかったから。

誰の中にも理想の「ゼロレクその後」があって、

それを「そう思っていてもいいんだ!」と思わせてくれるような曖昧さが、

テレビ版のコードギアスだったんじゃないかと思っているし、実際にそうであったと思うのです。

 

ですが、この日知らされた「ルルーシュが復活する」という、事実。

 

自分が信じていたコードギアスを、獲り上げられたような気分でした。

 

不屈な言い方かもしれません。

でも、昨日までどちらでもないものに、いきなり公式からのお墨付きが与えられて

片や歓喜、片や絶望

その場にいた前者はそんな風に感じていなかったかもしれませんが、

後者側の私には、世界が2色に分かれたように見えたし、

沸き上がる歓声の中、身体の温度がどんどん下がっていくのを確かに感じました。

友人と二人、帰り道は酷いものでした。

朝、イベントを待ちながらきらきらさせた目は、涙で濡れました。

 

けれど、これは執行猶予だ。

まだ、「復活」しない

劇場三部作をやると監督たちは言っていた。まず、それを見届けよう。

そう思うことで、そのショックから逃れようと思いました。

 

劇場版が公開するまでの間も、

友人と何度も何度も話をし、なぜ、どうしてを繰り返しました。

否定したかったわけじゃなく、わかりたかった。

少なくとも私はそうでした。そして、今もそういう気持ちは常にあります。

 

いよいよ劇場版が公開し、

2回目の壁にぶつかりました。

「アニメ版と違う」ことです。

内容の一部や、流れ、キャラの行動までもが、

第1部興道で変わっていました。

 

後々その変わった理由はわかりはしましたが、

当時の自分にはもうなにがなんだかわかりませんでした。

監督は、総集編といった。

しかしこれではまっったく別のアニメじゃないか。

そう思いました。

また劇場で、仲間と沢山考えました。

不安は、募る一方で。

それからたくさん考えて考えて、

これは総集編ではなく、復活に繋げるための別ルートなんだ

そう自分の中でこの問題をやり過ごし、

叛道、皇道と映画館に通い続けました。

いろんなことが知りたくて、インタビュー記事も出来るだけ沢山読み、

いろんな人の考えも拝見しました。

 

そうしているうちに、全く別の魅力も見つけることができたし、

自分の中で、否定以外の別の考えも浮かぶようになっていました。

 

3部作が終わり、いよいよ復活を待つ間も、考えることが沢山で、

吐き出しては、考えて、また吐き出して。

思えば今日まで、どれだけ自分の脳みそでコードギアスについて考えたんでしょう。

費やした時間は計り知れないし、

心身ともにかなりのものを捧げてきた。

 

かけた想いを紡ぎ、広げて見てみると

 

あぁ、自分はなんてコードギアスが好きなんだ

 

そう思える、今日までの時間でした。

 

復活をまだ、肯定することはできません。

だって、わからないから。

わからないものを好きというほど、

私は不誠実ではないし、そんなに短絡的でもない。

 

でも、沢山のかけがえのない時間を与えてくれたのも

紛れもなくコードギアスだから。

 

 

だから私は、明日、劇場でコードギアス復活のルルーシュを観に行きます。

 

例えそこに途方も無い絶望が待っていたとしても、

観ないことを選択する道なんかない。

もともと一生涯をギアスと歩もうと決めているんだ、ここで精神が死んでも

ギアスを嫌いになることはまず、ないだろうと、思う。

 

こんな生意気なことを書いてはいますが、

「公式が絶対」だということは、

そんなことは分かっています。だから明日、どんな事があっても、

受け入れなければならない。

でも、来たものをそのまま飲み込むんじゃなくて、

自分なりに、自分のペースで咀嚼したい。

何十年かかっても、そうしてみせると、そう思っています。

 

長々とヤマもオチもない文章を連ねただけですが、

この想いよ、未来の私に伝われ