とあるギアサーの書き殴りブログ

趣味でコスプレ、字書きを嗜むコードギアサー。ギアスに出会って約10年。日々のギア活で感じたこと、作ったものを忘れないためのアーカイブブログです。

※閲覧注意※来場特典ゼロのストーリーカードが凄かった話※内容は書きません※

 

はじめに、標題にもある通り、

第2週目来場者特典の、ゼロのストーリーカードの話をしますが、

内容には触れても詳細は言いません。

また、お願いされても内容を提供するような真似は一切しません。

あくまで来場者の特典ですから、公式が不利益にならない範囲で

感想を述べます。

 

相変わらず、私向けに書いてるだけですんで

よしなに。

 

いや何?あの神解釈

あれこそ私が望んでいたスザクとナナリーの姿でした。

ゼロビオンの話はなんだったのか…

(私は未だに、ゼロビオンの外伝ストーリーでスザクが言い放った今はスザクだよ、通称今スザがトラウマの女です)

 

戦いを1人で終わらせようとするところ、

何も変わっちゃいませんでしたね

理由はなんであれ、

あれこそが彼の傲慢さ、私はそう思います。

ルルーシュだったら絶対しない選択だろうな、なんて思ってもしまいます。

ただ、平和な世界での戦いは、大変なんだろうな、と。

ゼロ側が戦闘力を行使して『本気』を出してしまえば、それが火種となり、平和な世は続かない。

敵はそこを狙っているのでしょう。

だからスザクが言ってることは間違ってはいないのですが、文官の考えることも最もで。

今やゼロには「戦いに勝つこと」ではなく、「平和の象徴」であることの方が求められているのでしょうね。

 

そんな中響く、おやめなさいの一言。

私は途端、ユフィのことを思い浮かべました。

あぁ、母は違えど姉妹なんだ、血だなぁって。

多分以前のナナリーだったらもっとお願いするという感じで

「やめてください」とか「待ってください」だったでしょうに。

はーーーーー、立派になって…

ナナリー様は上に立つことを覚悟なされた。

もうなにも出来ない車椅子の少女じゃない。

 

I'm Lady

強くなるから

 

これは成長でしょ…心のハンカチをそっと取り出しました。

 

ここで、枢木の罪悪感について語られますよね。

私はまさにあれが、ゼロレク後のナナリーとスザクの正しい距離感だと思っていて。

どんなに理由があろうと、ゼロは、最愛の兄を殺したことに変わりはなく

ナナリーは恨む権利が与えられている。とスザクが思っている。

後ろめたさから、ナナリーと距離をとっているスザク

そんな話がまさか公式で…読めるなんて…

4回目の復活前に貰ってすぐ、劇場が暗転する前に読んだので

周囲のお客さんには

映画始まる前に泣いてる女として話のネタにされるんだろうなと思いました。

見せもんちゃうぞ、こちとら妄想で生きてる腐女子だぞワレェ

 

その後もよかったなぁ

前からゼロはスザク、そしてルルーシュの2人のものと言ってきましたけど違った

スザルルナナのものなんだ

3人でゼロを守ってゆくのだし、3人で罪を背負ってゆくのだなぁ

ルルーシュ展の音声ガイド思い出しちゃいますね…早く届かないかしらCD

 

最大の萌えどころは最後の流れですよね

生涯の主

 

生涯の!あるじ!!!!!!あああああああるじ!!!!

 

そういうの大好き!!!!!!!(200点スマイル)

 

ナナリーは今や皇帝陛下でもなんでもないからイエマジュ使わなくてもいいのに

敢えてのイエマジェ

 

よーーーし赤飯だ!赤飯を持ってきてくれ

いや炊こう!!!!ここで!!!強火の火力で!

炊飯器をもてーーーーーーーーい!!!

 

そうしてルルーシュくんの遺骨も何も入ってない仮初の仏壇に供えようね!

 

まさにルルーシュ君が欲しかった未来ですよ

完璧でした、凄く。完璧な騎士姫の出来上がりです。

ああやって復活後も生きていくのだなあと思うと、私はにっこりしてしまいます。

 

 

この興奮を残しておきたくて書きました。

あとで読み返して恥ずかしくなる気もしますが、

それは知ったこっちゃないので。未来の私見てるー?(ダブルピース)

 

あとC.C.も読みましたが、凄い、リアルな育児疲れでした。

でも虚ろーしゅくんの可愛さが天元突破してたので、とてもよいお話でした。

 

あとシャリオ君も読みたいので、明日にかけます

 

スザナナ万歳!!

私が復活に感じる、よく思わない事。

 

※私にしか配慮してない内容なので、閲覧は自己責任でお願いします。

※いつも以上に支離滅裂

※矛盾しているところがあっても、情緒で読んで下さい

 

昨日、3回目の復活キメてきました。

3回目見た直後も、面白い!面白いわー!

また見たい今すぐ見たい!

と完全にナチュラルハイだったんですけど。

 

3日間ろくに寝てなくて、気分もふわふわしてて

今日になってやっと、そのナチュラルハイ感が抜けてきました。

 

ようやく、復活のルルーシュについて、

マイナス面の話もしていこうと思います。

 

というか仕事中にふと気付いたことがあるんです。

 

私は、初見時に「想定の範囲内の話すぎてホッとした」んです。

でもそれって、だからと言って最高傑作の出来だったか?と。

 

そうではないな、と。

面白いと思う気持ちは変わらないです。今まで言ってきた感想も全部、変わりません。

 

でも今から、

3つの「よく思えなかったこと」を書きます。

 

まず第一に

「私如きが考えつく範囲の内容だった」こと。

だからこそ救われたんだけど、

だけれどそれは作品としては致命傷だ。

パターン化された枠にハマらないのが、この作品の魅力だと思ってたんですが、

思い返してみれば、結構王道のストーリーだったのではないかな、と。

そりゃ予想していないこともたくさんあったけど、大筋は読めて「しまった」のは、

元々期待値がものすっごい高い作品で、にも関わらず、その期待に何度も何度も答えてきた。

あー私、傷つくことが怖かったくせに結局

コードギアス復活のルルーシュという作品に、ボッコボコにされたかったんだ!!!

予想を裏切られたかったんだ!!!

圧倒されたかったんだ

 

ところが、復活のルルーシュは枠の中に納まったまま、その域を出なかった。

見ているときにずっと私は「よし、これだったらありかな!」と、納得できるかどうかで作品を判断していた。

それが「及第点」だっただけだ。

偉そうな物言いになってしまうけど、そうなんだ。

好きな部分がたくさんある。それも嘘じゃない。これからもその楽しさを探しに劇場に足を運ぶ。

でも、回を重ねて行く度に「あぁ…ここがこうだったら良かったなあ」とぼんやり考えてしまっている。

良であって、最良ではない。

例えば、KMF戦は、もっとやれたんじゃないかな、と。

萌えたシーンもたっくさんあるんだけど、ギアスならもっと、やれたんじゃないかって。

要求ばかりが高くなる。

でもそれは、それほどのことをやっていた作品だからこそ、だから。

でも、復活のルルーシュは、結構シンプルで、スタイリッシュだったんだ。

 

そして第二に

「公式との体感時間のズレ」です。

思い出したんですけど、前日?に、コウジロウさんが「同窓会」という言葉を使ってました。

私はなぜかそれに違和感を持ってたんですが、ようやくその理由がわかりました。

 

私の中で、コードギアスって10年以上前に終わったアニメじゃない。

常にそばにあって、ただの一度も懐かしいと思うことなんか、ないんです。

そりゃ当時の話を聞けば、懐かしい〜って思うことも多いし、

リアタイ組じゃないんで、リアルタイム時の話はへ〜!そうだったんだ〜!なんですけど。

違うの、作品自体は久しぶり!なんかじゃないの。なんなら毎日顔突き合わせているの。

 

お気に入りのガラスケースに、大事に大事に飾って、毎日おはようという存在なの。

反逆のルルーシュの時間は止まっている。

最高のラストを迎えて、今もなお色褪せない、全50話。

故に、今日までの12年という時の中で、どれだけの人が、作品について考えてきたんだろう。

そのガラスケースの向こうの強烈に魅力的な作品を、目を凝らして眺めていただろう。

そういう積み重ねて出来上がったのが

「自分の中のコードギアス」そして「自分の中のルルーシュ像」なんだ。

その美しさに少しでも触れたくって、ガラスケースを一生懸命磨いてきたんだ。

だからこそみんな、復活のルルーシュくんは「違う」と思ったんだ。

ようやくこの部分を理解することができました。

公式は久しぶりに新作を作ったんだから、そりゃあ久しぶりだよ、そりゃそうだよ。

でもずっと反逆のルルーシュを追っかけてきた人たちからすれば、

いきなり10年の月日を重ねたルルーシュくんは、まるで未来から来た人に見えたんだろう。

そういう違和感を受け入れられないから、みんなもがいているんだ。

よかった、私この部分がずっとTL上で引っかかっていたんだ。

 

第三に

「アニメからの変化を望んではいない」こと。

監督たちのやり残したこと、それが復活に詰まっていると、

私は思います。

けじめ

そう言っていた監督の言葉は、確かに作品に反映させていたと思います。

でも、TLの反応を見てたら、誰一人反逆に心残りなんか感じている人、いなかった。

そもそも私は続編なんて希望してなかったし、

でもやるからには見る、そういうスタンスだったので、

待望の!と言われても、はぁ…といった具合でした。

でも楽しみにしてた方は、たくさんいらっしゃった。当然だよ、だって推し作品の新作なら大半の人は楽しみにするでしょ。

でもそういう、楽しみにしてた方たちのこれまた大半は「また反逆の彼らに会える」っていう、

素直な欲求だったんじゃないかな、と。

三道はいろんな改変はあったけど、基本はアニメ版をベースに再構築された話。

アニメそのままのところもあった。

けど、復活は、まったく新しい、おニューの彼等だった。

反逆の彼等じゃなかった。

それを監督は良しとしたけど、ファンは違ったってことなんじゃないかなって。

こんなに変化を望まれない作品はないんじゃないかと。

そして、こんなに明日(成長)を望まれない主人公などいないんじゃないかと。

 

ああ、だから、

反逆のルルーシュは終わるんだ。

変わらないために、

最高を守り続けるために。

 

正直、作品や主人公に現状維持を求められるアニメなんか、

この先続編をやったってつまらないだけでしょう。

みんなが望む展開を、成長しない、変化のない主人公が歩んでいく。

作品としてそんなの死んでるのと一緒じゃん。

 

だからこそ、新シリーズとして、これからやってくんだ。

そう、思いました。

 

やっとマイナス面が書けたことで、

とても納得感を得ることができました。

これから安心して劇場に足を運べます。

 

そして今度は、

ちゃんと睡眠とってから行こう

 

復活は復活でちゃんと面白い

でも、

コードギアスを冠するならば、

面白い以上の出来であってほしかったな

という感想でした。

 

 

 

 

 

 

【2回目時点での】復活のルルーシュ、こう思う③

 

寝ようと思ったのに、感想を考える脳と手が止まらないのでまだまだ書き殴る。

 

次は本戦の話。

 

おおおお俺は頭が悪いので戦術的な話が2回だけでは理解できなかったため、

この辺りはぼんやりと書くと思います。

 

ここで書きたいのは、

「諦めかけたルルーシュ」について。

びっくりしたんですけど、この諦めかけた部分がルルーシュルルーシュではない理由だという意見が

結構多かったことです。

本当に?そうなの?

そう思えない理由を書きます。

 

何度も言うけど、これは私が思うことであって、自分自身もこれが正しいのかはわかりません。

なんせ2回しか見てないので。

あとそう思う人を否定したいわけでもなく、そう思う理由がわからないから書くんです。

議論したいわけでもないので、あしからず。

 

まず、ルルーシュくんの手持ちの札の中に「撤退」がある事。

これは、反逆でも何度も切ってきたカードです。

明らかに失敗だとわかる時、立て直すより一度撤退するのを選ぶ方が賢い

そういう場面が、例えばコーネリア戦、黒の騎士団を作る前の有象無象を使った戦い、

すでにあったことです。

むしろこれは三部作では削除されてきたルルーシュくんの汚点

汚点だと同時に、反逆の中のルルーシュくんの自己評価の減点部分だと思います。

そういう部分が三部作になかったから、

私は物足りなさを感じたのだけれど、復活ではちゃんとあった。

 

逃げる事は諦めではなく、「思考する時間を作ること」だと思っています、ルルーシュくんにおいては。

ただ今回はそれができない、何故ならコーネリアやスザクたちを見殺しにすることになるから。

それは約束でもあり、ルルーシュくんがしたくないこと。

そのカードは、使いたくても切りませんでした。

でも彼の中にそういうカードは、いつでも懐に忍ばせている

そういうことが言いたいのです。

 

そして、元来ルルーシュくんはアドリブに弱い

これはどういうことかというと、ルルーシュくんの強さの秘訣って

「何パターンも策を用意して、その有り余るカードを絶妙なタイミングで出すこと」だと思っていて。

ないカードは、出せない。それがルルーシュくんのアドリブの弱さ。

それをわかっているからこそ、彼自身作戦前には十分な可能性の模索と布石を用意するんだろう。

 

そのカードを、あの数時間の中でどれだけ揃えることができただろうか?

 

考えてもみてほしい。

ジルクスタン王国という場所の地形も神楽耶にもらうまでわからない状態の「情弱状態」

作戦を立てなければならないのに、いろんな人から話かけられてしまう「時間不足」

白痴期間はそれこそなにもできないし、現役から退いて2年ほどあるという「頭のブランク」

※無印とR2の間は記憶を失っていただけで、思考そのものは現役バリバリだった

加えて、会ったことないギアスユーザーという「未知なる力」

ジルクスタン王国はもともとブリタニアとも渡り合えるくらい強い、その「戦闘力の高さ」に比べ

こちらは圧倒的に人数の少ない、戦闘力に雲泥の差のある、「戦闘力、組織力の低さ」

おまけに本格的なKMF戦は久しぶりのはず

そしてこれが一番重要だと思ってるんですが、

今回は、「こちら側の死者を出させない」「こちら側の人間にギアスをかけない」

という、ハンデ付き。

この状態で、どれだけの選択肢が取れたと思いますか?

 

それでもルルーシュくんならやれた、

と100点満点を求めるのは、あまりにスパルタでは

と、思ったので、

私の結論としては「一度諦めかけても仕方がない」ということです。

 

けれど、彼は諦めかけただけで、

諦めてはいません。

この戦いに勝つことを。

 

それを引き出すのは、C.C.の役目でした。

これは反逆でも、三部作でもやってきたことで

なにも復活に限った話じゃありません。

彼女は本来、ルルーシュくんの心の盾であり、剣でもあったのです。

その剣の役目は、一度スザクに譲りましたが。

 

それから、ナナリーのことは諦めかけてさえもいません。

一度も諦めてはいません。

ルルーシュが諦めかけたのは、「自分が決めた条件を守る」ことと、「戦いに勝つこと」

この2つだけ。

私はそう思います。

そう思いたいだけなのかもしれませんが、私は、今そう思うのです。

 

そういった形で、諦めかけたルルーシュくんもまた

私の知るルルーシュくんだったと思った次第です。

 

彼に100点満点など、求めてはいません。

70点のルルーシュくんを、私は受け入れました。

 

今回はここまで。

3回目を見て、この戦いをもう少し理解してきます。

 

【2回目時点での】復活のルルーシュ、こう思う②

 

さて、前回の感想の続きから。

 

スザクを手に入れたルルーシュは、脱出作戦を遂行していきます。

ここではっとさせられたのが、

まず、さっき再会したというのにスザクはルルーシュに「本当に戻って(帰って?)きたんだな」

と言います。

これはどういう意味があったのか?

それは、ルルーシュがかつてと同じように人を従え、策略を練り、なんら変わりない行動をとっていたから。

と思うのですが、

もっとシンプルに考えると、

意識が朦朧としている中で再会したから

再び目が覚めたときに「あれは僕の願望が見せた幻だったのか?」と思って、

確認したら、夢じゃなかった、って感じなのかもと。

そっちの方が可愛いので、そっちを採用することにします。

夢見がちスザク、可愛い!夢かと勘違いするほど孤独だったのかよ、可愛い!

 

あと、

ロイドさんの「そんな体でそんな機体に乗って…!」とスザクを止めようとするシーンがあるじゃないですか。

あれって、相変わらず枢木には自分の作ったものに乗ってもらいたい気持ちと、

スザクの身体を労わってる…!ロイドさん…!ってなったんですが、後々、これをニーナ相手に違うと言ってますね。でもさ、でもセシルさんが撃たれた時のあのロイドさん見てると

やっぱりスザクの身体心配なんだな、パイロットとしてじゃなく。

って思いました。

そう、やっぱり1〜2年もあれば、人って変わるんですよね。それも、あんな(ゼロレク)事件があった後だから、余計に世界の変化にその人自身も変わらざるを得ない。

人の考えなんて、変わらない方がリアルじゃないんだよ。

その経験の積重ねこそが、明日を生きる彼らの証しなんだなって、ロイドさんはじめすべてのキャラのそういうところにグッときました。

 

いよいよ作戦開始。ここで、シェスタール君と戦いますが、

この辺もやはり、魔神回の見せ方と同じ、余裕綽々だった相手を誘き寄せ、罠に嵌め、殲滅するという作り方だな、と。

このシェスタール君。私にはクロヴィス殿下に似ているように思いました。

復活したときに殺した、あの大監獄のオカマも、魔神回の親衛隊隊長みたいだな、とか。

一話のオマージュと感じる点は、結構ありますよね。

無事脱出し、コーネリアが駐屯する場所へと移動します。

 

ここでの出来事は結構いろんなことが語れると思うのですが、

とりあえずびっくりしたのは、扇がルルーシュに引け目を感じていたこと、それと、目の前で罰を受けて死のうとしたこと。

扇はどこまでも勝手だな…そんなことして得する人間もいないし、むしろルルーシュはこれから皆と戦う上で一時的に信頼されなければならないのにそんなことしたら絶対誰も従ってくれないだろうとか、遺された家族はどうする気でいるんだろう?と思わなくもないですが、私は単純にその行動にびっくりした。

扇のことは好きではないですが、同時に、ちょっと見直しました。

間違ってはいるけども、彼なりに責任の取り方を模索した結果、

ルルーシュと同じ罪の背負い方(死ぬ)を選ぼうとした。そういう純粋さ、実直さに

ヴィレッタさんはやられたのかなぁ。

もう、この夫婦は幸せに生きてくれよと思う。

監督は多分、本編で扇を総理にしたこと悔やんだのかな、だから復活で総理大臣を下ろした。

扇もきっと、自分が総理大臣なんておかしいと、裏切った自分がそんな役割を得ていいはずない。

扇なりのけじめ、そうなのかな。

別の理由もありそうだから断定はしないけど、一旦そう考えてもいいように思いました。

 

あとはそう、屋根裏部屋(概念)で話す、スザルルの話。

ていうか、ここで美しき獣たち流れた時、皆どう思いました?

はっきり言って、初見、私は美しき獣たちあそこで使う意味あった????って思いました。

音楽、まったく耳に入ってこないやんけ(笑)

視覚情報が強烈すぎて、もっと言うと聴覚情報もセリフの方が勝つ!

アリプロさん使っといて、なんであそこで流した!?

意味わかんなすぎて笑ってしまった(笑)

 

スザクが話したかった2つのこと。

この辺は推しのおしゃべりタイムなんで、詳しく感想書きます。

 

1つめの「戻ってきたんだったら君がゼロをやるべき」

 

すごい、あの、びっくりした。でも予兆はあった。

黒ビオンの前編後編履修された方ならご存知と思うのですが、

あれ、全然枢木スザク、ゼロやれてなかったじゃないですか。

「今はスザクだよ」って言い切っちゃうし、ゼロとしていろんな迷いを抱えている描写もあった。

それは、復活本編でも続いていて、ナナリーを守れなかったことで、

その自信は地に落ちた。

申し訳無さがあった、託されたのに、その兄の前で彼女を守りきれなかったことで、

ゼロ失格だと思ったんだと思います。

そういうスザクの想いを、ルルーシュは出会った時に感じ、ルルーシュのセリフにもあるように

「スザクを助け」るんだ、と。そういう目的が、復活のルルーシュにはあった。

それが果たせたのかは、後々こう思うということを書きたいと思います。

けど1つ言わせてほしい

 

自信を

失ってる

枢木スザク

新鮮

そして

 

可愛い

 

 

2つめの「君が生きていてよかった」

 

セカンドインパクト。これが復活最大に驚いたことです。

どうやらスザクは、ルルーシュがいないことで、孤独を感じていた。

思い返せば、反逆でも、学園生活を送る中で

「変わったことはないか?」「あるよ、君がいない」

これを言っちゃう男です。

枢木スザクは、どこに属していても、結局孤独の人だと前から思っていて、

1人じゃなく、独りなんです。

誰のことも仲間だと、友達だと、思ってはいない。

思ってはいけない。自分がそれを思うことは、許されない。

7年の歳月は、枢木スザクを孤独にした。

ただ1人の存在の可能性を残して。

それこそが、幼い頃に出会って別れた、ルルーシュの存在だったのではないかと。

だから真の意味では孤独ではなかった。

だって、ルルーシュはどこかで生きているんだと、思い続けていたから。

それだけで、孤独だと思わないんです、凄いことだな、と。

どこかで生きててさえくれれば、この世界にルルーシュという個体が居れば、

彼は孤独だと感じずに済んだんです。

それが、自分自身が彼を殺したことによって真の孤独を作ってしまったばかりに、

かつてない不安、迷い、一筋の光さえ閉ざし、

座標を見失う原因になったのでは、と思います。

 

これも後々書こうと思いますが、彼の孤独は癒せたのか。

 

ルルーシュはここで、スザクから2つのミッションを与えられます。

と、思っています。

 

その願いを胸に、いよいよ戦いが始まります。

 

キリがいいので今回はここまで。

 

次はジルクスタン王国との戦いについて、感想を書きたいと思います。

が、

今日3回目を観るので、また違った考えが生まれるかもしれません。

ブレッブレの感想になっても、

許してね、私

【2回目時点での】復活のルルーシュ、こう思う①

 

さて、前提を書いた上で、

復活のルルーシュ本編の感想を書いていきたいと思います。

 

ここでるるしーだスザルルだと書くつもりはないですが、

根っこはスザルルが好きな人間なので、そういうニュアンスも混ざるかと思います。

ただ、固定派さんは不快に思うかもしれないことも書くのであしからず。

 

はっきり言います。

私は、復活のルルーシュは作品としてとても面白い部分が、よかったなと思う部分が「多い」と思います。

それはなぜか。

 

まず、ルルーシュが、以下の3つの事を貫いてくれたからです。

・自分は今後世界に関わるべきではない人間だと思っていること(それを実行したこと)

・変わらず、自分より世界より、1人の少女(ナナリー)を大事にしたこと

・遺した皆に変に詫びを入れないこと

 

これが1つでも守られてなかったら、私はルルーシュを侮蔑していたかもしれない。

もっと言えば、生かしたC.C.を許せなかったかもしれない。

 

だとしても、自分の私欲でルルーシュを蘇生しようとした事に関しては、許させることではないと思ってはいますが、

ただ、自分でもびっくりしたんですが、

今回の映画、少なくとも6回ぐらいは泣いたんですが、

その最初の涙が、C.C.とルルーシュのシーンでした。

今までなにもやってこなかったC.C.が、手を取り、ご飯を作り、荷物をひとりで運んだ。

その光景は「家族というものに焦がれている少女のおままごと」でした。

マオ編で見せた擬似的な母性をここで出してきたなと思うんですが、

その健気?さに、涙が出てしまったし、同情さえ覚えました。

C.C.が欲しかったのは、恋人でも友達でもない、家族なんだって。

そこに恋愛的なラブが持ち込まれないのも、受け入れられた要因の1つでした。

 

それから、カレンの登場に、感情移入はそちらへと移りました。

いや、だってさ、カレンさんが正しいでしょ?あれ、正しい姿だよ。

「これはルルーシュが望んでいたこと?」と彼の意思を尊重しながらも、会えて嬉しいやら、でも会いたくなかったやら、こんなのルルーシュじゃないやら、なんで生きてるの?やら、可哀想やら。

彼女の中でいろんな感情があったと思うんですよね。

それが、まるっと自分の気持ちとリンクしてしまって、また泣きました。

 

復活の中でのカレンさんは、反逆に続き正しさそのものでした。

 

あとこれを触れておこうと思うのですが、

虚ろルルーシュくん。

あれはあれで、「生きた死体」だと思うので、

こんなのルルーシュじゃない!っていうと、そりゃそうだって感じなのです。

可愛いなって、素直に思いました。

アニメを見て、もこちーを抱きしめて、なにかに怯えるルルーシュくん。

の、器。

しょーじき可愛い、人は可愛いものには抗えない。

肉人形だとてあんなに可愛い。それは、ルルーシュではありえないことだから、なお可愛い。

 

それで、あの魔神オマージュの復活劇。

正直早いなーって、思いました。ここで!?と

でもこれは、2時間の枠を与えられたアニメ

早いとこ復活しなければ、それこそ復活し損の内容になってしまう。

 

復活の後、ルルーシュ君は以前とは少し違う行動を起こしますよね

これを「アニメ版との違い」と捉えるのもわからなくはないんですが、

私は「世を捨てたルルーシュだからこそもたらされた変化」と捉えます。

もう、ギアスによって人の人生を極力狂わせたくないし、

仮初めの自分に明日のことなど求めないでほしい

そういう、どこか一歩世界から引いた存在では、

以前のような鋭さは難しいのだと思います。

でも、

後々ネリ様に対してお願いをしている立場なのに、頭をさげないルルーシュくんは

やっぱり根底は変わんないんだな〜とも感じました(笑)

 

地下に幽閉されているスザク君に気づいたルルーシュは、

スザクとの再会を喜ぶより、「いい駒が居た」と思ったんだと思います。

冷たいんじゃなくて、ルルーシュって人はそういう人であったと、

私は思っています。

感情に流されるより、状況や作戦を重んじる。

申し訳ないですけど、そこはいくらスザルル脳だとしても、

いや、スザルル脳だからこそ、

それはスザクという力を信頼しているに他なりませんし、

それこそが、2人の絆の証だと思いました。

だって、

やっぱりあの再開のシーンは、

ルルーシュはスザクに、わざと殴られにいったんだとしか思えないから。

その理由は2つあり、

ひとつは、議論を交わしてわかり合う時間より、殴られてスザクを納得させた方が早いから。

もう1つは、

思い切り殴られて、スザクに対する罪悪感を緩和して欲しかったから。

うまい言葉が見つからないので、一旦上記のような言葉にしてみました。

 

それで無事、違いの気持ちの清算を、あっさりと、最短で、行うことができたスザルルが

やはり凄いなと思わざるを得ません。

出会いのシーンは、なんやかんや初回ボロ泣きでした。

スザクの気持ちを思うと、複雑で…ほんとはあんな数発殴ったぐらいじゃ気持ちなんか晴れない

それでも

自分も、ナナリーを救いたいから

再び、あの2人は手を組んだんです。

と、思っています。

 

と、ここまで書いて長すぎるので、一旦切ります。

 

これ、書ききれるかな?

まとめるの、下手すぎない?

頑張れ私、感想が止まるその時まで。

結局、復活のルルーシュとはなんだったのか?【初見編】

※当然のように本編のネタバレあります

※パンフレット等のネタバレも含みます

※とにかく色々なことをバラしてます、注意

 

コードギアス 復活のルルーシュを観てきました。

 

昨日からツイッターの反応を観ていると、

賛否両論あるということは肌で感じているのですが、

そういうのは一旦置いておいて、

率直に、

自分の感じたことを、つらつらと書いていきたいと思います。

 

長くなるので、始めに作品の感想より、私が思う前提をここでは書きたいと思います。

 

まず、

標題にも書いた通り、今回の復活のルルーシュとはなんだったのか

自分なりに思ったことがあります。

 

それは、監督がこの反逆のルルーシュにピリオドを打ちたかった、

「The END」こそ、すべてではないかと思います。

 

実は、とある筋から「コードギアスが終わる」という旨の情報を聞いてしまっていて。

(ほんとはもっと違う言葉でしたが、その辺はボカします)

それが真実かどうかは、結局わからないんですが、

私はその言葉でここ3ヶ月間虚無になったり、泣いたり、お別れする辛さで泣き暮らした時もありました。

おかげでお別れする覚悟は、早い段階からできましたが、

凄く辛かった。

そして

今回のエンディングを観て、確信しました。

コードギアスは、ルルーシュという存在から卒業する、と。

 

そして監督がインタビューで言っていた「けじめ」についてですが、

けじめというか、あれは未練の精算のことなのかなと。

やり残したこと、やらなければならないこと、といってもいいかもしれません。

監督は、パンフレットを読むに、この復活をもってシリーズの監督から降りるんだと思いました。

その前に、次作へのバトンタッチをするとともに、

自分が遺してしまった可能性に、きちんと答えを提示したんだと思います。

コードギアス 反逆のルルーシュで監督が遺してしまったこと

それは、「反逆シリーズが続くかもしれない可能性」ではないかと。

反逆シリーズの終わりは、非常に曖昧なものでした。

それこそ、生存説や死亡説などさまざまな意見が出るほどに。

そういう可能性を残すことを、彼は美徳としなかったのかな、と。

 

作中では随所にそれぞれの「叶うなら…」のカケラが描かれていたように思います。

ナナリーはお兄様に会って、自分の心残りを詫びた。

そして自分の願いを、兄に打ち明けた(その願いは果たされなかったけど)

そのルルーシュは、ナナリーに会って、きちんとお別れが言えた。

スザクは、ゼロとしての迷いを、先代にぶつけ、ゼロを返そうとした(断られたけど)

そのルルーシュは、俺はもうゼロではないと、はっきり言い切った。

扇は、ゼロに詫びて自殺しようとした(叶わなかったけど)

ルルーシュはそれを、必要ないと言った。

 

と、言った感じです。

もっと色々あるけれど、つまりはそれぞれにやり残したことがあって、

それを今回の復活では描き切ったのかな、と。(ただし叶ったとは言わない)

 

そして私が最大のやり残しの清算と感じたのは、

あのシャムナが散りばめた、ギアスのカケラが世界中に降り注ぐシーン。

あれは、「またみんなで花火を見よう」

そこに繋がっている気がしてます。(妄想の行き過ぎかな…)

リヴァルも、シャーリーも、みんなみんな、同じ空の下であの輝きを観ていた。

 

そこで、作品のグランドフィナーレを感じました。

 

と、同時に、「新シリーズへの布石」を打ったな、と。

あれを散りばめたことによって、

今度はそこから話が発展できる。

そして、L.L.となったルルーシュを、出るか出ないかという曖昧さで、

お客の心を揺らすことができる。

そういうプロとしての欲と、創作人としての使命みたいなものを、

今回の復活に感じました。

 

スンゲーーー長くなってしまったので、

作品の感想は、記事を分けます。

 

はっきり言って、結構ポジティブなことが多いです。

納得いってない部分もありますが。

 

素直な感想を、述べたいと思います。

 

 

 

 

だから私は、明日復活のルルーシュを観に行く

 

ちまちまと書いていた文章がようやくまとまりそうなので、

記録用として、ブログにアップします。

これを見返す自分が、その時どう思っているのか、

わからないけれど、振り返る場所として、

ここを未来に残そうと思います。

 

コードギアス 復活のルルーシュ公開日

前日です。

差し迫るその時を、

落ち着いて待ってなんかいられなくなったので

少し、自分の中の記憶を遡って「復活」に臨む思いを、思い出を残しておきたいと思いました。

 

そもそもこのプロジェクトが発表されたのは

2016年11月27日

コードギアスの10周年を記念して行われたイベント

キセキのアニバーサリーでしたね

約2年とちょっと前

もう懐かしいとさえ感じるイベントになってしまいましたが、

ギアサー人生で最初の大きなイベント参加に毎日わくわくそわそわしていました。

キセ誕、参加できなかったし

リアルタイム勢ではないから、当時行われていたイベントにも行けていない。

オールナイト上映会などには行きましたが、

やはりデカイイベント言うと、キセアニが初めてだったと思います。

 

それだけに、この時の思い出は今でも、頭の中の再生ボタンを押すように思い出すことができます。

 

招待状を受け取り、暗号を解読した時から予感はありました。

きっと誰の中にも戸惑いと期待とが入り混じった、複雑な感情があったんじゃないかと思います。

 

そもそも、

主観ではありますが、この復活プロジェクトが動き出す前は、

ルルーシュ生存派」と「ルルーシュ生きててはいけないのよ派」とには、

もしくは、

そのどちらでもないという人の、様々な考え…

ギアサーの間には、そう大きい壁はなかったように思います。

だって、ラストは決まってはいなかったから。

誰の中にも理想の「ゼロレクその後」があって、

それを「そう思っていてもいいんだ!」と思わせてくれるような曖昧さが、

テレビ版のコードギアスだったんじゃないかと思っているし、実際にそうであったと思うのです。

 

ですが、この日知らされた「ルルーシュが復活する」という、事実。

 

自分が信じていたコードギアスを、獲り上げられたような気分でした。

 

不屈な言い方かもしれません。

でも、昨日までどちらでもないものに、いきなり公式からのお墨付きが与えられて

片や歓喜、片や絶望

その場にいた前者はそんな風に感じていなかったかもしれませんが、

後者側の私には、世界が2色に分かれたように見えたし、

沸き上がる歓声の中、身体の温度がどんどん下がっていくのを確かに感じました。

友人と二人、帰り道は酷いものでした。

朝、イベントを待ちながらきらきらさせた目は、涙で濡れました。

 

けれど、これは執行猶予だ。

まだ、「復活」しない

劇場三部作をやると監督たちは言っていた。まず、それを見届けよう。

そう思うことで、そのショックから逃れようと思いました。

 

劇場版が公開するまでの間も、

友人と何度も何度も話をし、なぜ、どうしてを繰り返しました。

否定したかったわけじゃなく、わかりたかった。

少なくとも私はそうでした。そして、今もそういう気持ちは常にあります。

 

いよいよ劇場版が公開し、

2回目の壁にぶつかりました。

「アニメ版と違う」ことです。

内容の一部や、流れ、キャラの行動までもが、

第1部興道で変わっていました。

 

後々その変わった理由はわかりはしましたが、

当時の自分にはもうなにがなんだかわかりませんでした。

監督は、総集編といった。

しかしこれではまっったく別のアニメじゃないか。

そう思いました。

また劇場で、仲間と沢山考えました。

不安は、募る一方で。

それからたくさん考えて考えて、

これは総集編ではなく、復活に繋げるための別ルートなんだ

そう自分の中でこの問題をやり過ごし、

叛道、皇道と映画館に通い続けました。

いろんなことが知りたくて、インタビュー記事も出来るだけ沢山読み、

いろんな人の考えも拝見しました。

 

そうしているうちに、全く別の魅力も見つけることができたし、

自分の中で、否定以外の別の考えも浮かぶようになっていました。

 

3部作が終わり、いよいよ復活を待つ間も、考えることが沢山で、

吐き出しては、考えて、また吐き出して。

思えば今日まで、どれだけ自分の脳みそでコードギアスについて考えたんでしょう。

費やした時間は計り知れないし、

心身ともにかなりのものを捧げてきた。

 

かけた想いを紡ぎ、広げて見てみると

 

あぁ、自分はなんてコードギアスが好きなんだ

 

そう思える、今日までの時間でした。

 

復活をまだ、肯定することはできません。

だって、わからないから。

わからないものを好きというほど、

私は不誠実ではないし、そんなに短絡的でもない。

 

でも、沢山のかけがえのない時間を与えてくれたのも

紛れもなくコードギアスだから。

 

 

だから私は、明日、劇場でコードギアス復活のルルーシュを観に行きます。

 

例えそこに途方も無い絶望が待っていたとしても、

観ないことを選択する道なんかない。

もともと一生涯をギアスと歩もうと決めているんだ、ここで精神が死んでも

ギアスを嫌いになることはまず、ないだろうと、思う。

 

こんな生意気なことを書いてはいますが、

「公式が絶対」だということは、

そんなことは分かっています。だから明日、どんな事があっても、

受け入れなければならない。

でも、来たものをそのまま飲み込むんじゃなくて、

自分なりに、自分のペースで咀嚼したい。

何十年かかっても、そうしてみせると、そう思っています。

 

長々とヤマもオチもない文章を連ねただけですが、

この想いよ、未来の私に伝われ